【カルデランヒストリー】 №004

【カルデランヒストリー】 №004
加治木空襲

終戦直前の1945年8月11日、約30分間の空襲が、戦略的・徹底的に実行されました。ナパーム弾56発、焼夷弾138発、機銃掃射21450発+αが使用され、戦災状況は面積19万7,000坪、被災者2,900人、死者30人(うち学生が半数)、被災家屋700戸。写真は、加治木工業学校(現・工業高校)前で爆弾がさく裂した様子を米軍機が撮影したもの。この後、学校は焼失しています。

空襲を受けた加治木エリアは高速道路のジャンクションがあるなど、昔から交通の要所で港を持つ物流拠点でもありました。十三塚原基地(現・鹿児島空港)にも近く、軍事的にマークされていた地方都市のひとつであったと考えられています。

この地区では毎年8月11日の加治木空襲の日にあわせ、「8.11 空襲の日・平和の集い」を開催しています。地元中学生や高校生たちがボランティアとして司会や映像製作などで運営をサポート。当時の体験談や体験手記の朗読などが行われ、若い人たちの手で今も後世に伝えられています。

▼参考記事
日本史に登場しない、わたしたちの記録
http://lb.ebpark.jp/upload/book_data/ebk05049/HTML5/pc.html#/page/6

▼8.11 空襲の日・平和の集い
 8月11日(金)9:30~ 加音ホール